白と黒について

白いもの。
猫、餅、紙、部屋の壁紙、蛍光灯、太陽、飛行機、Appleのイヤホン、歯、校庭に引かれた線、横断歩道、下着、体育服、Yシャツ、コンビニのビニール袋、船、月、雲、波、塩、砂糖、小麦粉、薄力粉、強力粉、ベイキングパウダー、ベビーパウダーホットケーキミックス、牛乳、ゆで卵、シーツ、石鹸、豆乳、鹿児島名物のかき氷、欧米の人、日本のお城、お米、便器、浴槽、ヨーグルト、服の無難なコーディネートカラー第1位。

 

黒いもの。

猫、海苔、髪、ゴキブリ、蚊、カブトムシ、クワガタ、夜、宇宙、土、深い森、影、深海、ガンツの丸いやつ、プラネタリウム、コウモリ、アスファルト、ネームペン、カラス、服の無難なコーディネートカラー第1位(同率)。

 

「白」と「黒」とは、「明度が1番高い無彩色」と「明度が1番低い無彩色」である。

こう定義してしまうと、なんともつまらない。取り付く島もない。

けれど実際のところ、白とか黒とかいう時のそのイメージの背後には、この世の中にあるあらゆるものが控えている。それが一見、対称になるように見える白と黒との、イメージの微妙な距離感をつくっていると思う。

さっきはそれを、思いつくママに書いてみました。

 

もう少し、白と黒という色それ自体のことについて考えたみたい。

 

色といえば絵の具である。絵の具のことを思い出してほしい。

「黒」以外の絵の具で「黒」をつくることは何とかすれば出来るけど、「白」以外の絵の具で「白」をつくることはどうしてもできない。

つくれない色だから、予め、紙とかキャンバスは白いのかも知れない。

 

こう考えると「白い」とは「何もない」ということで、「黒い」とは「何かある」ということなのかも知れない。

 

いやしかし、「何かある」だけで黒いとは言えない。「何かある」だけだと、それは赤かも知れないし、青とか黄色とか緑とか、もっと黒に近づいたとしても焦げ茶色とか青紫色かも知れないのだ。

 

違う方向から考えよう。黒いものと言えば、ブラックホールがある。

ブラックホールは何で黒いかというと、それはめちゃくちゃ重い星で、周りにあるものを全部吸い込んでしまうからだそうだ。何ともお茶目である。

そして、ブラックホールが吸い込んでしまう最たるものとして「光」がある。

ブラックホールは近づく光も全部吸い込んでしまうから、黒く見えるのだそうだ。

これはもはや「見える」とは言えないかも知れないが。

 

では、黒のことを何と言いましょう。

「見えない」だとちょっとわかりにくい。「光がない」だろうか。うん。

 

ここまで考えてきたことをまとめるとこうなる。

「白」と「黒」とは、「何もないこと」と「光がないこと」である。

 

さて、こう書いてみると黒に比べて、白のことを「何もない」というのは何か言い足りない気がしてくる。

白とは要するに「光」それ自体なのではないだろうか。

「何もない」というのはきっと「遮るものが何もない」ということだったのだ。

どうやら、「明度が1番高い色」と「明度が1番低い色」というところに戻ってきてしまったようである。

 

ただひとつ、不思議なことは「何もない」はずの「白」いものが、この世の中にこんなにもたくさんあることだ。

 

 

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和木さとし(Waki Stoshi)
書店員。
1992年、鹿児島生まれ。東京在住。
趣味は言葉遊びと芸術作品の鑑賞、本屋巡り。
特技はダジャレを言うことと、俳句を詠むこと、絵を描くこと。
好きな小説は村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」。好きな画家はセザンヌクールベとヘレン・フランケンサーラーとアントニオ・ロペス・ガルシア。